プロ野球界で当たり前に行われていること。いつから?誰が始めた?など気になったことはありませんか?例えばヒーローインタビューやラッキー7。その日に活躍した選手へのインタビューですがいつからはじまったのか?なぜ行うようになったのか?そんな当たり前だけど考えたら不思議に思うプロ野球のあれこれを集めてみました。
ヒーローインタビューのはじまりはいつ?なぜ行うようになったの?
ヒーローインタビューは1974年日本ハムファイターズが行ったのが最初です。
観客動員数が低下していたため、観客を盛り上げようとファンサービスの一環として始められました。当時は勝利後に球団職員がインタビュアーとなって選手1人を呼び出してインタビューを行うという形でしたが、全く定着せず、早々に打ち切りになったそうです。
しかしヒーローインタビューというものはスポーツ界になかでは注目されるようになり1970年代後半にアナウンサーがインタビュアーとなる形が定着しました。その後プロ野球全体そしてスポーツ界全体に広まっていったのです。
ヒーローインタビューはその日に活躍した選手が選ばれますが、ヒーローインタビューされる選手を選ぶのは各チームの広報担当者かマネージャーと言われています。ヒーローインタビューが試合会場内に流れるのは基本的にはホームチームのみと言われています。場内に流れない場合はテレビ等で見るしかありません。ただし一部の会場ではファンサービスとしてビジターチームが勝利してもヒーローインタビューが場内に流れる場合があります。試合が引き分けだったり、途中で試合が打ち切られた場合などヒーローインタビューが行われないときもあります。
7回の攻撃をラッキーセブンと呼ぶのはなぜ?
終盤の7回の攻撃はラッキーセブンと呼ばれ、ホームチームの攻撃でもある7回の裏の前の応援では各球団様々な応援を行います。ジェット風船を用いたものや、東京ヤクルトスワローズの東京音頭は特に有名ですよね。7回がラッキーなイニングになるという統計や結果などはなく、試合のターニングポイントになるという認識から7回の攻撃には特に期待されやすいそうです。
理由としては先発からリリーフ陣への投手交代のタイミングになりやすいということや攻撃陣も3巡目以降を迎えることが多く投手になれてきたタイミングということが挙げられるため、試合に動きが出るかもしれないイニングと思われやすいようです。
ラッキーセブンという名前の由来は1885年9月30日のシカゴ・ホワイトストッキングス(現シカゴ・カブス)の優勝がかかった試合でできたことに由来すると言われています。7回シカゴの選手が打った球は平凡なフライだったが強風に煽られてホームランとなった。このホームランによって優勝が決まり勝利投手はこの出来事を「ラッキーセブンス(7回の幸運)」と表現した。これ以降ラッキーセブンは信じられているそうです。
まとめ。
ヒーローインタビューやラッキー7には、こんな背景があったみたいですね。
今行われてることに様々な歴史があるんですね。疑問に思ったことを調べると意外なプロ野球のことを知ることが出来、もっと野球を楽しめそうです。
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